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2009年2月28日 (土)

縄文人と弥生人

神奈川大学短大の教授だった網野善彦著「東と西を語る日本の歴史」という本を読んでいる。冒頭は他の歴史学の学説引用が多く見受けられるがこれが興味深い。少なくとも学校の歴史教科書にはほとんど書かれていないことばかり。もともと日本の東部と西部では人種が全く違うそうだ。西部は弥生人と呼ばれ農耕民族でアジア北方民族、東部は縄文人と呼ばれ狩猟民族でアジア南方系だそうだ。もともと日本は南方系が主で、朝鮮(韓)半島から流入してきたと考えられているようだ。

また網野先生の文献には明記していないが、朝鮮(韓)半島でも北方系と南方系が混在するようだ。日本の東国と西国では文化も言葉も生活様式も全く違っていたのは人種が違うためだということだ。しかし、時間をかけてこれらが混血されてきたため日本人というものがでできあがってきた。しかし、アイヌ部族、琉球族だけが縄文人の血筋をそのまま残した形となったようだ。東国は文化が遅れていたが、西国とのかかわりはほとんどなかったようだ。大和(今の日本)が形成されるころには東国もだんだんと支配下におくようになっていった。今の日本の領土が確定したのは明治維新になってからの話で近世の話だ。それまでは政治は多元的に行われてきた。また奈良時代あたりでは多くの渡来人がまだあったようだ。東国は狩猟民族であるため、馬を操り武芸にたけていた。また西国は農耕民族であり、農業や貿易などにたけていて街が発展した。しかし西国は海賊に苦しめられ、東国は騎馬集団の追剥などに悩まされたようだ。現在の日本では、弥生人顔と縄文人顔の比率が7:3になっているようで、弥生人が相当数流入してきたと考えられるようだ。縄文人顔、弥生人の特徴は、馬場悠男先生というお方が紹介されています。韓国人の顔と日本人の顔はほとんど区別がつかないのは、同じ人種であるからだということで間違いはないようだ。

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